合格体験記|本気で取り組む気を持てるかどうか|土地家屋調査士試験|東京法経学院





土地家屋調査士 合格体験記

本気で取り組む気を持てるかどうか

体験記

R,Yさん


体験記

●はじめに

 私は今年で34歳になります。ようやく昨年、平成27年度土地家屋調査士試験に合格することが出来ましたが、この合格を勝ち取るまでには非常に長い年月と青春を費やしてしまいました。これからこの試験の合格を目指す受験生の方々に一番ダメなパターンの実例として、こういうヤツでも合格できるのか、という感じで私の体験記が少しでも励みになればと思います。
 とにかく私はダラダラと勉強時間を過ごすことに関しては並はずれた才能を持っていました。そこに関しては全国の受験生の中でトップレベルだと思います(全く自慢は出来ないのですが…。)。とりあえず机には向かって他のこと(主に趣味のこと)を考えるのが日々の日課でしたし、自分の中で決めた一日の勉強時間という名ばかりの約 2 時間をやり過ごしたら、あとは趣味に打ち込む、そんな感じでした。今思うと合格できるわけがないと思いますし、そうやって過ごしながら「明日からやろう」が「年があけたらやろう」になり「仕事も忙しいし、年度末過ぎて 4 月になったらいよいよやるか…」がついには「やっぱり今年も厳しそうだし、来年頑張ろうかな」となっていきました。この間、ただの1 問も問題を解いていない年もありました。これが毎年です。ここまできたら本当にただのアホな人だと思うのですが、本人は本人なりに大真面目に「いつか本気だせば何とかなる!」と根拠なき自信を強く持っているのですから、恐ろしいものです。
 毎年の初詣で神様にお祈りすることと言えば普通は「努力が報われますように…」となるのですが、私の場合は「今年は気持ちが本気になりますように…」でした。そしてその願いが叶ったことは最後の年までありませんでした。

 

●家業が土地家屋調査士を目指したきっかけに

 そんな私が土地家屋調査士を目指すそもそもの始まりは、父が土地家屋調査士だったからです。しかしながら私は家業を継ぎたいという思いは全くなかったため、高校卒業後は全く違うジャンルの学校に進みましたが順調とはいかず、実家に帰ることになりました。フラフラしていたそんな時に父から事務所を手伝ってみないか、と誘いを受けたのです。恥ずかしながら父の仕事である土地家屋調査士がどっちを向いているのやら全く何も分かっておらず、当初はお小遣い稼ぎ程度の気持ちで事務所に入りました。
 ところが土地家屋調査士の仕事内容を実際に経験し、事務所の業務として依頼人から相談を受け問題を解決していく中で、大きなやりがいを充実感と共に感じるようになっていきました。そして21歳の頃には土地家屋調査士を目指そうと心に決め、勉強を始めたのでした。

 

●独学で測量士補試験に合格し、22歳から土地家屋調査士を目指す

 私は高校では文系に進んだこともあり、数学に対してかなりの苦手意識を持っていましたが、まず午前の部(まだこの頃は午後の部でしたが)の試験免除のために測量士補試験にトライしました。苦手意識はあっても、高校時代の数学の教科書などを手元に置きつつ、Sin、Cosって何だったかな?と、基礎の基礎から再確認しつつ、東京法経学院のテキストも購入し、仕事をしながら 1 年間の独学( 1 日 2 時間くらいの勉強時間でした)で合格することが出来ました。
 苦手意識のあった数学問題主体の測量士補試験に一発で合格できたことが自信に繋がったこともあり、土地家屋調査士もこのまま一気に取ってしまおうと息巻いて、東京法経学院の通学講座に申し込みをしました。まだ22歳の時です。

 

●「来年がある」と

 実務の方でも 2年近くの期間で土地家屋調査士の主たる業務を経験していたこともあり、土地家屋調査士のことをよく理解しているつもりでしたが、やはり実際に法令根拠を元に一から勉強すると、より実務への理解が深まっていくこともあり、やりがいを持って勉強に取り組むことができたものの、年明けから答練が始まってみると、得点が全く伸びず、段々と勉強を苦行に感じるようになってしまいました。 5 月頃には「今年は合格できない」と自分の中で勝手に結論を出してしまって諦めてしまいました。「来年は頑張ろう、だから今年はもういいや。」 そう思ってしまったのです。何年も続く受験生活に繋がっていく呪いのフレーズです。


 土地家屋調査士試験の平均学習期間は 1年から 2年とよく聞きます。ですが、実際にそれ以上の期間にわたって受験生を続けている人も多くいると思います。皆さん本当に本気で勉強を続けているのでしょうか?心のどこかで「今年も無理かな」と諦めていませんか?
 資格を取らなければいけない理由が切迫していなければいないほど今年取れなくても来年取れればいいって思ってしまいますし、仕事が忙しいのを理由にしてみたり、家族サービスを優先してみたり、勉強しないための理由は無限に湧いてくるものです。まさに、私がそうでした。そんな私のことを父も母もよく諦めずに応援してくれたと思います。父は私が勉強を始めた頃に「60歳になったら引退するからそれまでに合格を」と言っていたのが「65までには」となり、最終的に「まぁいつか取ってくれれば…」と言い換えていました。

 

●東京法経学院の通信講座を申し込んだが…

 私も今年こそは本気を出そうと心に誓い、東京法経学院の通信講座を申し込んだことが過去に 3回くらいはあったと思います。(4回だったかもしれません…)よく覚えていないのは添削を送ったことがただの 1回もないからでしょうか。自分でも凄いと思いますが、とにかく勉強をしないことが板に付き過ぎていて、いつしかテキストを開くことに異常なまでのストレスを覚えるレベルになっていました。そして関数電卓の使い方もある程度は覚えたはずなのに、いつしかすっかり忘れてしまいました。受験生なのに自分でも呆れます。言い訳としては、実務では諸々の計算は全てパソコン任せのため、電卓が使えなくても特別大きな支障はないのです。


 私が補助者として働いている父の事務所は仕事が忙しかったこともあり、私も登記申請業務にあたることで様々な事例から知識を蓄えていったものの、試験に必要な知識と実務には違いも多々あり、補助者として業務を行うための知識だけで土地家屋調査士の資格を取得することは出来ない、そこには大きな隔たりがあり、資格を習得するためにはやはり試験勉強は必要と分かってはいました。このままではいつまで経っても受験生を卒業できないかもしれない…と分かってはいましたが、どうにもなりませんでした。
 ただ、根が能天気なので、あまり気落ちすることはありませんでした。 8 月末に試験が終わって合格発表までの 2 か月間に思いっきり遊ぶ、これを毎年の楽しみに、年明けから試験までの期間は色々と耐え忍ぶ、そんな感じでした。まさにダメな受験生のパターンそのものですが…この資格に限らず長年資格取得のための勉強をしいる人は、そういう感覚の人も多いのではないかと思います。

 

●結婚を契機に通学を決意

 私が本気で受からなければならいと思い至ったきっかけは結婚でした。31歳でいい人と巡り合い、結婚しました。両親はむしろ何か背負うものが出来た方が資格取得にも力が入るのではないか、と思っていたようで結婚を喜んでくれました。
 ところが妻からすれば、そんな簡単な話ではありません。いくらお給料をもらって帰ってくるとは言っても帰ってきて勉強だなんて、「どうして結婚する前に資格取っておかなかったのよ。」と責められるわけです。いよいよ勉強に本腰をいれなければと思いつつも、結婚式の準備に、子供の誕生にと、 1年はあっという間に過ぎてしまい、結局ほとんど勉強は手つかずでした。子供の誕生直後に平成26年度の合格発表があり、当然のごとく不合格となった私に対して妻から「これ以上ストレスを与えられたら、一緒に生活していけるかどうか、どうなるか分らないよ。何とか来年確実に合格出来る方法を考えて。」と言われました。

 無駄に受験生としてのキャリアだけは積んできましたが、中身が伴っていない私としては、ここまでくると無責任なことは出来ないし、今更イチから勉強する時間もありません。そこで東京法経学院の広島校に通学をすることを決意したのです。11月の不合格発表の直後でした。

 

●毎週日曜日は答練に

 「これしか方法はない。」と妻に説明し、「この 1年は私も色々と我慢するし、応援するから結果を出して。」と了解をもらいました。こうとなれば、答練が始まる 2 月までの約 2か月間で一般の学習経験者の受験生並には一通り問題を解けるようになっておかなければ!と気は焦るものの実際にはそんな実力が今までのやったかやってないか分らない勉強で養われていたわけでもなく、気持ちが焦るばかりでした。しかしながら、妻子が寝静まる10時過ぎから何とか東京法経学院の『調査士合格ノート』を開いて読み進めていくぐらいには気持ちが乗ってきました。テキストを開くことが精神的に辛くなっていた時に比べたら私の中では随分と前進したような心境でした。これで来年合格できるのだろうか、と漠然とした不安はありましたが、本科が始まるまでにテキストを 2 回くらいは通読することができました。言い換えれば、それぐらいしか出来ていませんでした。まだこの時は普段の業務の延長で考えればそれなりに申請書も書けるし法令も理解しているのだから、何とかなるさ、と状況を達観していたように思います。
 年が明けてあれよあれよという間に 2 月になり、いよいよ毎週日曜日に妻子を家に残して電車で 3 時間かけて広島校に通う生活が始まりました。そして最初の模試で私の不安は的中することになりました。ベストセレクト答練で択一は半壊、書式はほとんど手が付けられなかったのです。付きつけられた現実を前に、今年もダメかもしれない…といつものように思いかけましたがしかし、もう後には引けない、そういう気持ちが今回ばかりは強くありましたし、先生も最初だけに難易度高めの問題だったからあまり気落ちしないように、と受験生を励ましていましたので、持ち前のポジティブシンキングで何とか気持ちを持ち直しました。
 もの凄く前置きが長かったですが、そんなチャランポランな私がどのように 2 月からの答練を乗りきって、合格まで辿りつけたのか紹介したいと思います。

 

●通学で実感した厳しい現実

 先生にもいまさら関数電卓の使い方を教えてくださいなんて言えないくらいには無駄なプライドがあったものですから、まずは関数電卓の使い方のテキストを見ながら、関数の公式などを一通り覚え直すところからスタートしました。もう 2 月になっているのにこのレベルです。そんな調子ですから、一日 2 問は書式を解こうとよく聞くものの、無理でした。仕事から帰り、慣れない育児でヘトヘトになった深夜は睡魔が異常なスピードで襲ってきましたし(言い訳は得意です)、何より関数電卓の練習をしていたら書式まで取り組む時間も心の余裕も全く足りませんでした。
 法令に関しての知識は実務経験からある程度は体得しているつもりでしたから、電卓さえ使いこなせるようになれば、という思いもあったのですが、これは錯覚でした。答練の結果も択一はだいたい 5 割から良くて 6 割くらいしか得点することはできず、根拠のない自信はどんどん打ち砕かれていきました。しかし、これこそ通学で答練をやった一番の利点だったのかもしれません。現状の自分を直視させられたことで、とにかくちゃんと勉強しないと合格は出来ないという当り前の現実を、やっと受け入れることができたように思います。時間があれば答練で一度答えた択一問題を 1 問だけでも解き直してみる、そういう気持ちを持つようにして日々を過ごしました。

 結局のところ、 4 月からの実戦答練が始まっても状況は一向に好転することはありませんでした。合格判定はよくてC、だいたいいつもD判定で、答案用紙に記された先生方からのコメントも「このままでは今年は諦めるしかないですよ。」いったような、厳しいものが多かったように思います。自宅での勉強もやらなければという気持ちだけはありましたが、ベストセレクト答練と実戦答練で一度解いた択一問題を繰り返し解くくらいしか出来ませんでした。ただ、その際の回答の解説欄は何度となく読み返しました。

 

●最後まで諦めずに

 広島校の渡部先生も最初のころはよく声をかけてくださっていましたが、いつも土地の求積も図面も書けずに答案用紙を半分くらい白紙で出す私に諦めの気持ちを持たれたかもしれません(何となくそんな気がしました(笑))。ですが、先生が解説講義の際に「 1 点が合否を分けることもあるのだから、最後まで絶対に諦めずに土地の所在でも方位でも、書けることは何でも書きなさい、最後の瞬間まで手を止めてはいけない」と何度となくおっしゃられ、とにかく0 点か100点、みたいな考え方をしてしまいがちな私には受験への取り組みの姿勢そのものを見つめ直すためのとても重要なアドバイスになったように思います。
 先生のアドバイスでもうひとつハッとさせられたことは「最新の法令に基づいたテキストで勉強すること。」というものでした。実務では自然と対応できている法令の改正も、試験では厳密に問われることもあり、落とし穴にもなりえる、という当り前といえば当り前な話に衝撃を受け、東京法経学院で 5 年くらい前に購入し使っていない(笑)過去問集は開かれることなく、最新の過去問集を購入し直すことにしました。 結局、 7月中旬頃の全国公開模試まで、書式の練習は通学講座の当日に解くのみで、家でやることはなかったため、土地の方は座標計算に手間取るばかりで図面もまともに書けないままでした。それだけに最終模試の結果はまさに惨憺たるものでした(D判定だったと思います)。
 ここまでくると、今までの私なら間違いなく「来年頑張ろうかな。」と楽な方へ気持ちを切り替えるところなのですが、今年は、旅行はおろか、お花見にも行かず、花火も見ず、ありとあらゆる娯楽や家族の時間や思い出作りを我慢した妻と日々成長していく子供のことを思うと、簡単に諦めることはできない、と気持ちを強く持ちました。最後まで諦めてはいけない、渡部先生の言葉を心の中で何度も繰り返しました。

 

●直前は書式を重点に

 7月の模試が終わってから、いよいよ自宅で書式にも取り組み始めました。 1日 2問、自宅に帰ってから晩御飯の前に建物を 1問、食後に択一20問、寝る前に土地を 1問、解きました。基本的には 2 月からの答練の問題を中心に復習していましたが、過去の通信講座で購入していた答練の問題も押し入れから出してきて、 8 月に入ってからは数多くの問題にあたりました。自己採点する際には最新の法令に照らし合わせて変更点がないかの確認もしました。書式に取り組むことで択一の正答率も上がってきたような気がして、相乗効果が生まれてきました。ここまでは制限時間をあまり意識せず、しっかりと内容を理解するための勉強をしていましたが、実際の試験はもちろん制限時間がありますし、解く時間を意識した練習も始めなければと思いつつも、まとまった勉強時間はなかなか確保できなかったので、主に休日を利用して試験形式の 2 時間半で一式を解く練習もしました。過去問は主にそういった休日のテスト形式の際にトライしました。過去問を解いてみると、東京法経学院の実戦答練の総合テストよりは難易度が低い気がしましたが、油断は禁物というか出来るわけもありませんので、試験直前のお盆休みは完全返上し、結局過去問は平成15年〜 26年までのものをそれぞれ 2 回ほど繰り返して解きました。
 手元にある答練の問題や過去問は一通りやってみて、正直実力がどこまで高まったのか分りませんでしたが、書式の練習をこなしていく中で、とうやっても電卓のスピードアップに限界を感じるようになり、座標は全て出せなくてもいい、面積計算まではしなくてもいい、と勝手にどんどんハードルを下げていくことになりました。図面は座標を割り出さなくても分度器とコンパスを使えるようにしておけば、ある程度原始的な書き方でも何とか作図出来るのではないか、といよいよ試験日間近になってからは気持ちを切り替えました。
 渡部先生が口癖のように繰り返される言葉に「調査士試験は満点を狙う必要はない。」がありました。もうここまで来たらギリギリでも合格ラインに乗っかりたい、そういう気持ちで試験当日を迎えました。

 

●本試験終了時、合格を確信したが…

 広島管内で数百人もいる受験生の中で合格できるのはほんのわずか、この部屋にはたして合格者は何人いるのだろうか、自分がその中にいるのだろうか、漠然とした不安感に襲われました。今まではほとんどまともな勉強をせずに受けていたものですから、そこそこ解けたらいいな〜とか超お気楽(受かる気無し)に受験していたので、無駄に場馴れしているつもりでしたが、今回だけはまったく違う状況だけに異常に緊張したことを覚えています。試験会場入り口で配られた他校のパンフレットに「不安になる気持ちは当然です。しかし自分がこの中で一番勉強したんだ、と思えばきっと自信が湧いてくるはずです」と書いてあって、なるほど〜良いこと書いてあるな、とは思ったものの、たぶん一番勉強したと言えるほどはやってないよなぁ〜、と妙に冷静に思ってしまいました(笑)。

 試験が始まってからは全ての雑念を捨て去って、 2 時間半を集中してやりきりました。択一はスラスラ迷うことなく30分で解け、書式も建物は区分建物で若干複雑な問題でしたが、約40分で図面まで書き切り、残り 1 時間20分で一番苦手な土地に余裕を持って臨むことが出来ました。土地の問題もやはり最終的には座標値が 1点分からなかったため、面積を求積できませんでしたが、図面は縮尺にも気を付けて書き切ることができました。それでまだ10分ほど時間が余っていましたので、一通り見直す余裕もありました。こんなことは模試では一度もなかったので、試験管の試験終了の声が響いた瞬間に、「これで調査士試験は最後だ!」と確信を覚えました。


 駅まで迎えに来てくれた妻には「手応えはあった。合格したと思うよ。」と伝えました。ところが、その日の深夜に東京法経学院の解答速報を見て、愕然としました。択一16問、土地はまぁまぁ出来ていた感じでしたが、建物について、東京法経学院の模範解答では 2 階建てとなっていたのです。私は 3 階建ての区分建物として申請書と図面を作図していました。終わった…もっと勉強しておけばよかった…しかし今回の試験は完全にひっかけだな〜あの問題で 2 階建てになるなんて…うわぁ〜これからどうなってしまうんだろう、色々な思いが後悔の念と共に頭を駆け巡り、一睡も出来ずに朝を迎えました。
 合格発表までの約 2 か月間、今までだったら能天気に過ごしていましたが、今回ばかりは複雑な思いで過ごしました。妻や両親には「手応えはあった。」と伝えていたものの、解答速報と大きく違う自らの解答用紙を知っているのは自分だけです。考えるのは合格発表後の地獄をいかにやり過ごして、来年の受験へのモチベーションをいかに回復させるか、そんなことばかりでした。

 

●想像以上の得点で合格

 悶々とした気持ちで迎えた11月10日の合格発表日。前日は試験当日と同じく一睡も出来ぬまま、合格後の明るいビジョンは全く浮かんでこず、発表直前は絶望感に包まれていました。それだけに、パソコンの前で私の受験番号を見つけた瞬間は驚きで思わず絶叫してしまうほどでした。全く予期していなかった合格でした。すぐに父と母に伝え、家に駆け戻って妻にも伝え、喜びを分かち合いました。何で合格できたのかよく分っていなかったのですが、ネットで検索すると建物の解答は 2 階建か 3 階建で見解が分かれているという話を見つけることができました。そんなことがあるんかい!と驚きつつも、とにかく安堵の気持ちで胸が一杯になりました。
 後日送られてきた採点シートによると書式の点数は土地25点中20点、建物25点中20.5点でした。電卓が苦手で面積が出せずとも20点取れたことには驚きましたが、想像以上の得点でした。


私が今回の合格までの道のりを自己分析するに、やはり一番大事だったのは、
「最後まで諦めない。」
この言葉を信じることが出来たことだと思います。散々な結果だった模試が終わった 7 月末からの約 1 か月の間に問題を解きまくったことで一気に合格ラインまで力を上乗せすることが出来たのだと思います。

●通学の利点を改めて実感

 東京法経学院の実戦答練の問題は難易度も高く作ってありますし、これを繰り返し解き、それぞれの解説を丁寧に読み込むことで、必要な知識が確実に身についていった実感もありましたし、送りもしない通信講座に見切りをつけて通学をしたことが何より良かったと思います。繰り返しますが、自分の本当の実力を見つめ直すことが出来たからこそ、努力なくして合格無しという当たり前の現実から逃げないで、勉強に取り組めたのだと思います。
 私のように補助者経験のある方はそんなに勉強をしなくても、なんとなく解けてしまうからこそ中々本腰を入れた勉強に集中できず、受験回数が延びてしまいがち、という話を聞いたこともあります。実務では申請書の書き方も試験とは違うことも多々あり、例えば法定添付書類ではないものを試験の解答欄に記載してしまうということも有りがちな気がします。そういった実務経験者が失敗しがちなポイントについても教室で先生がよく言及されていましたので、私としてはそういったテキストの解説欄を超えたところのアドバイスを聞けたことが通学の大きな利点だったと思います。独学だけだと、いくらテキストを使って練習をしたとしても、どうしても補助者として実務で学んだことをベースに申請書を作成してしまいがちで、不必要なことまで書き込み続けてしまい、減点の多い申請書しか書けなかったかもしれません。補助者として培ってきた実務的知識は諸刃の剣となりえます。しかしながら、きちんと法令根拠を理解することで、それらの知識もフルに活かせるようになったことが合格への近道になったのだと今にして思います。

 

●本気で取り組む気持ちを持つこと

 思い返せばこの 1 年は、試験勉強=(イコール)机に向かってやる勉強のためだけの勉強と思わずに、実務でも疑問があれば何となく慣例で処理してしまうのではなく『調査士受験必携六法』を開いてみて根拠をきっちりと確認しながらやるように心がけました。そういった取り組みも少しは足しになったように思います。
 長く試験に取り組まれている人の中で、私ほど不真面目な人も少ないと思いますが、なかなか本気になれずに何となく取り組んでいる人も多いのではないかと思います。大事なのは本気で取り組む気持ちを持てるかどうか、なのかもしれません。私のように合格判定平均Dの者でも、何とか合格することが出来たということは裏を返せば、東京法経学院の答練を繰り返し解くことが合格への即効力となることの証明と言えるかもしれません。
 試験が終わってみて感謝したいのは、応援し続けてくれた両親とこの 1 年間厳しく接してくれた妻です。広島校の渡部先生にも感謝の気持ちでいっぱいです。先生のアドバイスが本当に最後の最後で力になった気がします。本当にありがとうございました。